枝画への誘い 柴沼清


枝画作家 柴沼さん(讃)

 

はまぎくカフェ 山本信子

  

 柴沼さんの枝画を初めて拝見したのは、水戸の佐川文庫(佐川文庫へはここをクリック)のホールだった。枝ががっしりとつながれたピアノを弾くラフマニノフの手。それは大きくて力強い演奏家の手だった。このホールは多くの著名な演奏家がピアノを奏でた場所であり、その時の音色が「ラフマニノフの手」に重なってくる。 

 館長さんにどなたの作品なのかをお尋ねすると、柴沼氏の作と告げられ、併せて他の作品もみせて頂いた。枝が美しい線となって しっかりはりつけられた数々の作品に「え!」「え!」と心の中で驚きながらの拝見だった。

 

まもなくして、柴沼さんは常陽藝文で個展を開かれた。様々な内容に満ちた作品は、やさしい枝や力強い枝で「美しい女性像」や「花鳥風月」そして、まことに品をそなえた「漢字」は心の平安を望まれる柴沼さんのお人柄を表す作品ではないかと拝見した。

だが足を進めると人間を直視した柴沼ワールドの枝画の人物達がうごめいていた。生きていることに苦しむ人、狂う人。歴史に残る天才音楽家達の思索にふける姿。怒り狂う仁王像。芸術家の情熱が彷彿する作品が並ぶ。

 

枝は立体だから影を持つ。その影は影であり陰でもある。眺める人が移動することによって、刻々変化する影も作品の一部として楽しまれるのはサイエンティストの視点かもしれない。その表現はトリックのようだ。

 

昔、TVでピカソのドキュメンタリーを視た。食事を終えたピカソがきれいに食された自分の皿の上の魚の骨を素早くイラスト作品にしてしまった。その時のピカソは実に楽しそうで得意気だった。ピカソの日常はどこをとっても芸術なんだと想った。

自宅の庭の大きくなった木々の枝を使って、独特な作品を描かれる柴沼さんの作品をみていて、なぜかピカソのその時の映像が思い返された。柴沼さんのご家族と共に育った枝を作品にしているからなのか。

 

翌年、2回目の個展が開かれた。その内容は。増々自由に羽ばたいて新しい表現にも挑戦されていた。こうして、生き生きと描いている柴沼さんは青年の続きを歩まれているようで、なんだかとてもまぶしく感じられる。

 

さらに、枝画のとり組みのプロセスを冊子にまとめられた。ページをめくるたびに、ていねいに記された内容は論文のようだ。哲学者の書でもあり、学者さんの顔でもある。

 

髪を激しくゆらしながらタクトをふるう小澤征爾、その前にはロストロポーヴィチがチェロを弾き、ラフマニノフもピアノを奏でている。 

そんな柴沼ワールドの枝画の世界は、観ている私たちをいざなう。そこは、人間を賛美する曲が奏でられているところなのか。はまぎくカフェの仲間達と耳をすまして聴いていきたい。

「ホラ、聴こえてくるよ。ネ、ネ、聴こえるでしょ。」

 

令和4年10月 山本信子 記


 なお、山本さんの直筆の原稿は「はまぎくカフェ」の「ティータイム」に掲載されていますのでご覧ください。「はまぎくカフェ」へはここをクリック