枝画への誘い 柴沼清


 以下は、令和3年4月2日から5月5日まで茨城県水戸市の常陽藝文センターで開催された第1回個展の出展作品です(35点)(第1回個展動画はここをクリック)。


作品1:二重唱(45x90)

 

 作品1の「二重唱」は、掛け軸風の縦長の構図とし、2羽の丹頂鶴を地上とその上の空間に配置した。作風は日本画の水墨画調とし色彩を抑えた。鶴は縁起の良い鳥であり、雪原にてリズミカルにダンスを楽しみながら合唱する様子を表現した。

 丹頂鶴の広げた白い羽は木の枝の変則的な輪郭線のうねりにより、その生命感と躍動感を上品な形で表現できた。

 枝の使い方が絶妙であり、枝画としては最初の作品でありながら枝画の本質的特徴が表現されており、完成度が高い。初心を忘れないための枝画の第一号作品である。

作品2&3:絆(One Team & スクラム)(各20号)

 

 日本画の典型的な構図である大きな満月に、その光を受けて舞う丹頂鶴の群れを描いた。日本画の特色である精神性を意識して、嘴の先から翼の先端に至るまで凛とした緊張感を3羽と5羽の丹頂鶴で表現した。

 5羽の丹頂鶴(写真右)の構図に関しては、尾形光琳の「燕子花図(かきつばたず)」を参考に、同じ図柄の鶴5羽をその位置を変え重複するように配置した。また5羽の鶴は3羽と2羽の群れに分け、大きさを変えることにより奥行き感を出した。

 本作品からは、信頼する仲間との強い「絆」で感動を呼び起こした日本ラグビーチームのキーワードである「ONE TEAM」を連想させる(写真右)。3羽の丹頂鶴は「スクラム」の先頭を切るフォワード(写真左)。

作品4:祈り(20号)

 

 人々を救うため、祈り続ける京都広隆寺の弥勒菩薩をイメージして制作した。釈迦如来や菩薩は男女の区別はないと言われているが、菩薩には女性の面影を感じている。特に穏やかな表情には、単に女性という一般的な表現よりは幼子や苦しみにあえぐ人に対しての母親のような慈愛と祈りを感じる。

 弥勒の顔に刻まれた杢目の凹凸の経年劣化は長い年月を祈り続けた証であり、今もこの祈りは続いている。

作品5:弥勒の微笑み(20号)

 

 最近、児童虐待の悲惨なニュースが続き、社会に大きな衝撃を与えた。本作品はこれをテーマに制作し、作品4の弥勒菩薩のイメージをより具体化した。すなわち、幼子を持つ母親のように、弥勒菩薩は救いを求める児童のために、手を差し伸べ祈るという情景を描いた。

 作品4とは異なり、弥勒菩薩の目には瞳を描き、少しふくよかな表情の中に祈りの強さと血の通った生身の人間の愛を表現した。これは母親以外の何物でもない。この児童(子供)に対する弥勒を通した母親の深い祈りと愛の表現を試みた。

作品6:仁王の怒り(20号)

 

  一向に被害が減らないばかりか凶悪化する「振り込め詐欺」、高速道路での危険極まりない「あおり運転」など社会不安のニュースが後を絶たない。このような社会の不安に対して、金剛力士である仁王の怒りが必要ではないかと感じ、これを本作品の主題とし、タイトルを「仁王の怒り」とした。 

 本作品では、輪郭線で囲まれた仁王の筋肉の盛り上がり方が光の加減で大きく変化した。

作品7:巡礼(20号)

 

 最近、国立博物館での運慶展で、平安時代に活躍した仏師の運慶や快慶の卓越した技量が公開され、大きな話題となった。この話題に触れ、殺伐とした最近の世相がどこか平安時代末期に似ているのではと感じている。作者は仏教などの宗教には造詣が深いわけではないが、本作品では、このような最近の世相に対する「怒り」と人々への「救い」の象徴として仁王と如来を取り上げ、「巡礼」と名付けた。

 入口門で仁王により悪霊を払ってもらい、本堂内での如来の救いを受けるという連続的な情景を仁王と如来を部分的に重ねることにより表現した。

作品8:まなざし(20号)

 

 絵画対象としての魅力的な女性とは何だろうか。ここでは、微笑みを浮かべる一方で微かな悲しみと強さをミステリアスな雰囲気の中で漂わせた複雑な女性の心理を表現してみた。

 制作上の技術的な話としては、前髪に隠れた眉を表現するため、眉にかかる前髪を「立体交差」させることで解決した。目と唇の表情は本作品の命であり、試行錯誤を繰り返した末に完成できた。

 タイトルの「まなざし」は、この作品をどの位置から見ても女性との視線が一致することから名付けた。光の加減で女性の表情が大きく変貌し、この女性の持つ内面の神秘性や情念が表現できた。

作品9:ひととき(想い)(20号)

 

 避暑地の高原の朝を背景に、ひとときの静寂な空気感を描くことを試みた。都会の雑踏を離れて、透明な風とさわやかな空気が全身に行き渡たる。服装やポニーテールと耳わきのカールのリズミカルな髪形などは現代風でありながら、全体構成は派手やかさを抑えた色彩により日本固有の美意識の表現を試みた。

 女性の表情の中に、「祈り」と「願い」、そして「未来」への「希望」が見えてくる。

作品10:緑の黒髪(45x90)

 

 枝画の木の枝は、女性の長い髪の表現に適しており、本作品はこの特徴を最大限に生かして制作した。画面のほとんどを風になびく長い黒髪で覆い、白い顔と寄り添う手を強調する大胆な構図とした。さらに、画面中央の左手と前髪を2層の立体構造とし、陰影による奥行き感を狙った。

 少し伏し目がちな構図の中に、どこか古風な日本女性の面影を試み、品性のある優雅な表情と強い意志を表現した。

作品11:風の流れに(10号)

作品12:調べに乗せて(10号)

 

 「風」に沿わせて「音楽」が流れるという情景を試みた。また、これらの作品が部屋にあることだけで、何か気分が安らぐように明るい色彩とした。

 作品11は風が主体で音楽は付属的な役割とし、音符のサイズは大きいものの細い曲線として存在感は抑えた。作品12は、作品11とは反対に、音楽の流れを主体として風は音楽を運ぶ付属的な役割とした。

作品13:五月の風(20号)

 

 作品13の「五月の風」は、3人の女性のしぐさや髪の流れからさわやかな五月の風が連想できるように制作した。3人の女性については、風を呼び込むための1人の動きを動画的に表現した解釈も可能である。鑑賞する上での解釈の自由度を増すために試みた。

 この作品を部屋に飾り、そこでコーヒーを飲む。さわやかな五月の風が流れる。このような避暑地での生活が連想できれば幸いである。

作品14:音楽に誘われて(20号)

 

 初夏のさわやかな風に乗って、少し気取ったポーズのお姉さん。パリの街角でシャンソンでも口ずさんでいるのであろうか。これまでの作品の画風は書道で言えば楷書風であるが、本作品では下描きやスケッチのイメージを残して草書風に軽く描いてみた。

 作品のポイントとなる手のしぐさや雰囲気はタレントのミッツ・マングローブからヒントを得た。

作品15:まなざし2020(20号)

 

 本作品は枝画の特徴である自由度の拡大を意識し、平面的な通常の絵画と大きく異なる多層構造の枝画を試みた。帽子と手のひらで顔半分を隠した謎めいた女性のまなざし。鋭い視線で見つめた先には何があるのだろう。

 この作品を多方向から見ている間に、光の加減の影響もあり表情が激変し、第一印象の鋭い視線だけではないこの女性の隠れた複雑で多様な表情が現れた。2つのKAGE(影と陰)による表情の変化、枝画の挑戦作である。

作品16:優しい風(45x90)

 

 本作品では、女性の憂いの表情と体の曲線の美しさを表現することを試みた。風になびくワンピースのシルエットが女性の全体の姿を写す曲線となり、実際には見えないワンピースに隠れた両脚が自然に感じられるように輪郭線となる枝を選んだ。

 どこか淋しげに遠くを見る女性に避暑地の高原を渡る風が優しく包み、ワンピースがさわやかな風色に変わる。この女性を包む風を「優しい風」とした。

作品17:風に舞う(45x90)

 

 本作品は、細目で面長の古風な顔立ちの女性、浮世絵版画の中の美人を現代風にアレンジした。現代の見返り美人である。風に舞う天女の如く、優しさの中に凛とした強い意志を表現してみた。色合いは浮世絵版画を意識して淡い色彩とし、掛け軸風の縦長の構図とした。

 薄い白系の青と赤の衣を纏った天女。風が上半身から下半身に吹き抜け、この風により衣の色合いが上下で反転した。

作品18:ポーズを決めて(45x90)

 

 本作品は枝画の特徴である自由度の拡大を意識し、レリーフ彫刻のような多面体から構成された凹凸構造の枝画を新たに試みた。風を纏いながら溌剌とポーズをとるお嬢さん。この女性を題材として、レリーフ特有の凹凸感に強い色調を組み合わせることで、その躍動感と曲線美を表現してみた。

 この快活で健康的な全面の笑みが、コロナ禍の中での息苦しさや悩みを吹き飛ばす。

作品19:魂の旋律(ラフマニノフに捧ぐ) (20号)

 

 クラシック音楽の作曲家でピアニストとしても有名なロシアのラフマニノフの手をイメージし、3次元の枝画として制作した。ラフマニノフのピアノ協奏曲はとくに有名であるが、当時は作曲家というよりはピアニストとしての名声が高く、超絶技巧を可能とする巨大な手の大きさが評判となった。

 荒涼としたロシアの大地の底からラフマニノフの巨大な手によるピアノの旋律が聞こえてくる。自作自演によるピアノ協奏曲2番。このラフマニノフの確信に満ちた魂の演奏がモノラルながらCD(1929年録音)で聞くことができ、この曲の原点として現在でも評価が高い。

作品20:悪魔のバイオリン by パガニーニ(20号)

 

 超絶技巧と引き換えに悪魔に魂を売ったと噂されたバイオリンの名手パガニーニ。暗闇の中から黒ずくめの衣装でステージに現れ、圧倒的な超絶技巧のみならず、天使の歌声とシューベルトから絶賛されるほどの音色の美しさで聴衆を魅了した。

 病魔と薬物による青ざめた顔の中に野心と狂気の表情を試みた。キリスト教会との確執があり、半世紀近く正式な埋葬ができなかったほど悪魔であり続けた。

作品21:歓喜と苦悩のシンフォニー(20号)

 

 聴力を失っても第九などの数々の名曲を作曲したベートーヴェン。この苦悩の中から生まれた歓喜と栄光を1つの作品とした。学校の音楽室に飾られた誰もが知るベートーヴェンの肖像画をベースに、分割・合成した断層構造とすることで苦悩と歓喜の表現を試みた。

 特に3分割した中央部の顔は暗い配色としてベートーヴェンの苦悩を表した。平常はこの顔は隠れて他人には見えない(写真右下)。指揮者として左側の顔はカラヤン、右側の顔はクライバーの面影をベートーヴェンに重ねて奏でた。

作品22:指揮棒の先に(20号)

 

 クラシックの指揮者は作曲者の楽譜のみからオリジナリティを引き出し、一方で栄光の影に過去と現在のあまたの巨匠指揮者の名演と比較され、厳しく批評される職業でもある。このような指揮者の肖像として、若き日の小澤征爾やムーティなどの面影を重ねた。

 指揮棒の先に、楽団員との信頼、さらなる音楽の高みへの熱い思いや喜び、そしてそこに至るまでの弛まぬ努力や試練の表現を意図した。

作品23:化石の森(50号)

 

 枝画制作の基礎となった左官作業の応用作品である。自邸の落葉樹の剪定で切り落とした枝と晩秋に散った落葉を漆喰で固めることにより、永遠の命として化石化した。風に舞う落ち葉は自宅の出窓から見えるソロの木。この限られた時間の風景を永遠の風景として作品の中に閉じ込めた。

 主題は日本人の美意識である「もののあわれ」であり、風景画であるが人の心を表現した。玄関ホールに飾られたこの作品はいつも優しく迎えてくれる。

作品24:月明り(20号)

 

 白鷺の頭上には現実離れした大きめの月が湖面を照らしている。月は歪みのない真円で曇り1つなく、静寂が白鷺を包んでいる。この作品では、白鷺を単に描くことではなく、この白鷺の目を持つ人物を描くことが本作品の目的である。

 あらゆるものの本質は何か。この永遠のテーマに鋭い目を通して探求する哲学者を白鷺の姿を借りて描いてみた。探求した真理や理念は一点の曇りもない真円の月。

作品25:ある哲学者の肖像(20号)

 

 作品24の「月明り」の白鷺の具体的な人物像を描いてみた。鋭い目は白鷺と同じであり、白鷺の頭の部分を作品25の哲学者の頭に置き換えても何の違和感もない。

 ここに描いた哲学者の肖像では、書斎にこもって苦悩や葛藤と闘いながら真理を追い求める姿を描いたものであり、妥協は微塵も許さない覚悟を表現した。周りの人には見せない1人だけの表情で誰も不用意に近づくことができない。

 茨城県に縁のある最近の哲学者の肖像としては、真理や理想を追求する姿勢から想像して、吉田秀和元水戸芸術館館長や佐川一信元水戸市長を思い浮かべた。現在、本作品は佐川元水戸市長の実姉が館長を務める佐川文庫 に納められている。

作品26:鏡の中の自分(20号)

 

 本作品は、作品25と異なり色彩を最小限に抑え、顔の中心部となる眼と鼻、さらに作品の基板から吐出した3次元の指先を強調することで見る者に強く迫る作品とした。すべてを見透かした厳格で冷徹な形相で、見る者の心に突き刺さる。

 何かを行動する際に、その根拠となる理念や論理とその正当性が問われる。まるで、鏡の中に映るもう一人の自分からのメッセージで、何の弁明も許されない。

作品27:視線(七つの目)(20号)

 

 本作品は、同じ図柄の人物の顔を分割して合成した組み絵である。同じ図柄でありながら分割と合成を繰り返すことで表情が刻々と変化する様子を試みた。すなわち、不連続な断片を組み合わせることで、表情が連続的なまなざしとして万華鏡のように変化する「不連続の連続性」として幾何学的変化の表現を試みた。

 本作品では、この男の目を通して現在の世相や自分自身を見ることをテーマとした。平面的な作品であるが、左右斜めから移動して見えた7つの目の動きが世の中の事象の本質を多方面から見つめる。

作品28:真理の目(20号)

 

 本作品は目を中心とした顔の中心部分のみをレリーフ調の立体画とした枝画である。これは人か動物か。大きく見開いた目の先には何があるのだろうか。フェイクニュースが氾濫し、意図的な不安の誘発や情報操作が社会混乱を招いている。

 このような状況で、何が真実や真理なのかを見抜く眼力が必要であり、この枝画を制作する動機となった。氾濫する情報を正確に吟味する真理の目。

作品29:分断(叫び)(20号)

 

 最近の社会情勢として、「格差」という言葉が日常の生活の中で氾濫し、世界中が「分断」の危機に陥っている。本作品では、これらの社会情勢を1枚の枝画として制作するという重いテーマに挑戦した。

 すなわち、勝者と敗者、強者と弱者、絶望(悲鳴)と歓喜など相反する分断を1枚の枝画にまとめた。あなたのこの作品から受ける印象はどうだろう?

作品30:大切なもの(20号)

 

 長い年月を過ごした中で、この老人が大事に守ってきたものとは何だろう。この老人の両手の中の宝物。家族、信頼、理念、信念、それとも名誉、権力、地位・出世、資産(金)、人種、宗教、・・・。難しいことは考えず、穏やかな表情を見せるこの老人にとっては愛おしい孫かもしれない。

 人生を長く生きた中で、これまでの人生を振り返る。あなたにとって、大切なものは何ですか?

作品31:渦(20号)

 

 本作品は抽象的作品で、コロナ禍で渦巻く暗黒のブラックホールをイメージした「渦」を描いた。この渦の無限ループの底なし沼に世界中が飲み込まれる恐怖、さらに渦の中心から魔物が顔を出し凄まじいエネルギーで見る者に迫ってくる恐怖も描いた。

 この魔物は悪魔か、それとも人類の新たな未来と希望の光を放つ救世主となるか。現在の我々への問いかけを渦巻く魔物として表現してみた。

作品32:新たな弱者(20号)

 

 コロナ禍で非日常の生活を余儀なくされている。特に、集客を伴うイベント、旅行、飲食などに関係する者にとっては、突然生活が一変し、自力では生活できない「新たな弱者」に陥った。この構造的な弱者をテーマに、細い木の枝を立体的に組み上げた枝画を制作し、不要不急下における限界状態の悲鳴を表現した。

 この脆弱に見える細木の作品自体が弱者であり、われわれ自身もまた弱者である。

作品33:心の手(28x28x36)

 

 本作品は枝画の枠を大幅に超えて、彫刻の分野に挑んだ枝画の自由度の高さを試みた作品である。この作品は指先がポイントで、妖艶な女性の手を連想して制作した。すなわち、指を構成する木の枝は関節と指の曲線を意識し、この女性の心を表現した。これは作品19の武骨な手とは大きく異なる。

 枝の曲線の組み合わせの妙が作品の命であり、写実を超えたリアル感のある指の動きが表現できた。

作品34&35:書「夢」「遊」(各55x50)

 

 本作品は絵画としての枝画の枠を大幅に超えて、書の分野に挑んだ作品で、枝画の自由度の高さを試みた作品である。特に、書の場合には、2つのKAGEの中で、「見える影」の効果が強く発揮され、文字の立体感や躍動感がこの影によりさらに強調された。

 さらに、この見える影が木の枝と協調することにより、単なる文字としての形状から本来の枝画としての絵画である特徴も示した。すなわち、例えば、特に「遊」の書では、しんにゅうの影が波となり、しんにゅうの船に乗って人が櫓を漕ぎながら舟遊びをしているという絵画的な情景が想像できた。

  書を基本としながら、彫刻や絵画作品ともなる枝画の特徴であるジャンルの枠を超えた自由度の高さを示す作品となった。枝画の書は枝の魅力とその組み合わせのみで極致の美を示すものであり、枝画の1つの神髄と言える。木の枝の文字とその基板となる白の漆喰とのバランスも良く、さらに杉材の枠との調和も伴い上品に仕上がった。